女神のみすまる 神社・聖地探訪録

Annaの訪れた土地の忘備録に

式内社 飯豊比賣神社 (福島県白河市)

福島県白河市大信豊地鰻谷地19
北緯37度11分21秒 東経140度11分42秒

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祭神 : 飯豊比売神
創建 : 不詳

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白河市の道路沿いの小丘の上ににひっそりとたたずんでいます。
式内社・飯豊比賣神社に比定されており、鹿島宮とも呼ばれているそうです。

この小丘、自然の山ではなく人為的に作られたかのような雰囲気。
大きな岩が露出していて、磐座の風貌。古い匂いもしますが清清しさに満ちています。
古墳?…ではないのだろうけど、そういうような雰囲気の不思議な場所です。

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↑ 石柱に延喜式飯土用姫命の文字。

飯豊比賣(いいとよひめ)という祭神も謎に満ちています。
この場所以外で飯豊比賣という文字を見かけたのは、棚倉町の馬場都都古和気神社の境内碑ぐらいですが、飯豊=イイデ、イイトヨを冠する地名や神社は全国に沢山あります。イイトヨ・イイデ・イイ(デ)モリという語源には古い古~い時代のエッセンスを感じており、この言葉のある場所はとても気になっています。

この場所に関する情報として、以下の陸奥国風土記逸文があります。

白川郡。飯豊山。此の山は、豊岡姫命の忌庭(ゆにわ)なり。又、飯豊青尊(いいとよあおのみこと)、物部臣(もののべのおみ)をして、御幣(みてぐら)を奉らしめ賜ひき。故(かれ)、山の名と為す。古老曰へらく、昔、巻向珠城宮(まきむきのたまきのみや)に御宇(あめのしたしろしめしし)天皇の二十七年戌午年の秋、飢えて人民多く亡せき。故、宇惠々山と云ひき。後に名を改め豊田と云ひ、飯豊と云ふ。(陸奥国風土記逸文

Wikipedeiaで飯豊山の説明として上記を引用しているのを見たのですが、冒頭で白川郡と述べているので、場所としては白河にある飯豊山を指すと思われ、この飯豊比売神社のある小丘ではないかと推測しています。また近辺の飯土用、飯出の地名のある場所であるかもしれません。

風土記逸文では、5世紀末の皇族で一時ではあるけれど即位し天皇だったとも言われている飯豊青皇女との繋がりについて言及しているけれども、ここで祀られている飯豊比売が飯豊青皇女と繋がるのかどうかは実際には分かりませんし、豊岡姫=トヨウケビメの忌庭かどうかも分かりませんが、確かに忌庭と呼ばれるような空気感はあります。飯豊青皇女とこの白河の小さな場所が繋がるのは夢が広がって面白いけど、中央の天皇とこの場所を結びつけるにはまだ少しばかり材料が足りない気もします。

イイトヨ(デ)、この名前がついている場所・・・飯豊山(福島・新潟・山形県境)、飯豊森(岩手県)などから考えるに、イイトヨ(デ)は神聖な場所・・・主に神体山などを指しているような気がしています。
イイトヨはアイヌ語の「エ・エン・タィ(e・en・tay)」の転訛で(「エンタィ」→「エンデ、イデ、イイデ」)「頭が・尖っている・森山」ではないかとも言われているようです。

 ※ 参考リンク  > 飯豊森随想アイヌ語地名考

女神や女性の力が強かった古代にそのイイトヨとよばれる地域の聖山・神体山などに仕えていた巫女や女酋などを総称し飯豊比売と
したのではないかと感じています。

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↑ 神社から少し離れた大信豊地飯土用の集落に飯豊比売神社の鳥居。
昔はここから参道が伸びいたのであろうと考えられます。鳥居後方、直線上あたりに神社はあります。
また飯土用の集落にも大きな岩にくりぬかれた不思議な祠や、梵字?の入った祠、多数の石碑、石像などもあり、歴史の古さを感じさせます。探索のしがいがありそうです。

また、余談かもしれないですが神社脇の用水路に赤茶色の水が流れていたので、このあたりは鉄分を多く含んだ地質なのかもしれないと感じました。
また、遺跡データベースのほうに飯土用製鉄跡(奈良+平安時代)という記載も見つけました。

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